最近のブログついて思うこと・・・漏洩の視点から

はじめまして、新倉茂彦です。

情報漏洩対策の視点から考える、ブログについて最近思うことである。

随分とブロガーが増えてきた。インターネットが初期の頃やパソコン通信(古っ!)の時代は、書き手よりも、読み手が圧倒的に多かった。

最近では私のような素人でも、特別な文才がなくとも、書き手になれるのだ。こうして書いているし(笑)

それだけ身近になった表現手段としてのブログ、近況を伝えるために書きつづるブログ、仮想世界に入っていくことも出来るブログ・・・

その活用方法は、たくさんあったりする。

書き手がいて、読み手がいるのは、今も昔も変わらない。

しかし、今では書き手に読み手がコメントもつけられるし、読み手が書き手になることもあり、その双方向性がブログの面白いところだ。

私は情報漏洩対策の仕事をして関係で、以前は掲示板の書き込み相談、今ではブログに中身について相談を受けることがある。結構書いてはマズイ事などあったりするのだ。

紙ノート日記のように本当に閉鎖されたものであれば、何を書いても自分だけの覚え書きであれば、なんら問題はない。日記を書くことは続けることで後に読み返せるので、自己の振り返りにも有効。

一方ブログは知り合いなど、少数であっても他人が見るものである。こんなことは書き手もわかっているはず。

コメントをつけてくれる人がいると、書き手も張りが出るものだ。

喜怒哀楽を表現することも、そこでは出来る。

ここで気になることがある。

それは、身近な話題をそのまま実名で書いていたり、伏せ字にしてもわかってしまうような内容だったり、そもそも機密事項のようなことから、個人の勝手な感情からくる誹謗中傷まで、ごちゃごちゃになっている事だ。

ブログに何を書いてもいいのだけれど、愚痴を書いてもいいのだけれど、不満を書いてもいいのだけれど、それらはすべてを書いて良いことではない!

こんなところが、ネットというか、仮想空間、サイバースペースの錯覚してしまうところだ。

過去にも事件はあった。小学生が同級生を殺人してしまったことだ。これは掲示板に書いた言葉が原因だった。

メールでも起きてしまうこと、それはメール、古くは紙の手紙だったら、読み手のことを考えて書き、読み直すから間違いなども少なくなる。

その書いたものは、書き言葉で綴られている。しかし書き物として残ってしまうメールなのに、最近は話し言葉で、そのまま書いてしまうことが、その原因になっている。

直接会って話していれば、多少言葉を間違えても、伝え方が違ってしまっても、その場の雰囲気でわかる。
だから修正が出来、誤解も減るのである。

しかし、メールは文字として残ってしまう。書いている本人の想いや感情が、必ずしも読み手に正しく伝わるとは限らない。

これはブログでも同じこと。それ以上にメールと比較出来ないほど多くの人が見ることが出来る。メール本文を検索サイトで調べることは無理だが、ブログは簡単にそれが出来る。

この辺から、なんだか立派な事を言っているようだが、私自身も気をつけていかなければならない事と思っている。

実は情報セキュリティの漏洩対策にも、こんな部分こそが重要だったりする。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

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