インターネットは雑誌の敵ではない–両者の連携のあり方とは

インターネットは雑誌の敵ではない–両者の連携のあり方とは:モバイルチャンネル – CNET Japan

インターネットのデジタルメディアと紙媒体のアナログメディアの研究に興味がある。

私の恩師がメディア界の重鎮であり、私も勉強させていただくことが多くある。

どちらかと言えばインターネットよりの人間な私でも、デジタルだけの無機質なモノがあまり好きではない。

電車の中などでも数年前なら考えられないほどに、皆がケータイで何かをしている。

DSやPSPなどのゲームをしている。

地下鉄などでは電波の良い場所と、電波が入りやすいキャリアがあるようだ。

必ずしもインターネットをしているわけではない。メールをしている人は多いようだ。

では、デジタルブックなるモノは普及しているのだろうか?

私の知る限りでは普及しているとは思えない。i-podのポットキャスティングなんかのが普及している。

最近ではケータイでも本を読めるようにはなったようだが、私は未だに紙の本が好きだ。

確かにケータイならば場所もとらずにスクロールだけで見られるが、ペンは入れることができない。

だからといって、ケータイが使い難い訳でもない。

万能でない!ってだけ。

紙も万能ではないが、駅や街角にある無料の人気雑誌などがケータイに変わるだろうか?

時代が変わればアルかもしれないが、気軽にとることはできない。

ケータイならば、気軽にどこにいても入手できそうなモノだが、だからこそ入手するきっかけがない。

いつでも、どこでもできてしまいそうだからだ。

私の考えるモノは、紙とデジタルの融合されたものだ。

既にある、雑誌の一部にQRコードなどが埋め込まれている。紙だけでは伝えきれないものや、新しいクーポンなどもこれならば簡単に使える。

どうもすぐに二元論的に、敵と味方に分けたがる人が多いが、融合 って選択が一番良いと考える。

実はこの問題の本質には、情報リテラシーの問題が深く存在する。

アナログの時代は、メディアや有名人が情報を支配する側にいて、パブリッシュしていた。

読み手側も一部の人を除けば、そこに書かれたものの信憑性をそれなりに高く信頼し評価していた。

これがデジタルの世界になると、伝達は光のスピードに変わり、ソースは玉石混淆になる。

しかし誰をもってしても、何が玉で何が石かの区別はつかない。読み手側個人個人の判断がすべてだ。

そこでは、何でも言いたい放題言える場所でもある。

情報があふれかえると、読み手側の能力であるリテラシーが重要になってくる。

単に読み取り能力の問題だけなく、自分に降りかかる危機もそこには含まれる。

自己責任とはこういうものだと考えている。

話は戻るが連携の話にしても、いかにもな良い物もあれば、ん?ってものも増えるだろう。

便利になるモノと引き替えには、不便になるものや何かとトレードオフする危機もあったりする。

すべては表裏一体なのだから・・・

何をどこからどのようにすれば?との質問が多くあります

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