「誤」と「偽」で思う「誠実」ってなんだろう?と改めて考える
誤表示か、偽装か?なニュースが大きくなっていますが、ちょっと違和感を感じる事があります。最近よく思うのが「誠実」についてです。何かについて、誠実でないなぁ・・・と思うたびに、自分はどうなのだろうか?と考えます。メビウスの輪のようなものに感じています。
食品で思い出すのが使い回しです。(船場吉兆のもったいないって。。。単なる使い回しだけ?)(続編:船場吉兆の”もったいない”その独自基準)
間違えたしまったのが「誤○○」で、嘘だったものが「偽○○」と、日本人ならば誰もがわかる漢字から出来ています。実際に間違えてしまえば、「誤○○」ですが・・・
セキュリティに置き換えて見れば、「誤○○」は、とても多くあります。送信・送付・封入・設定・交付・記載・焼却・裁断・廃棄など、漏洩や流出になりかねない問題があります。これ、未だになくならない「人の確認ミス」
宛先を間違えて送ってしまったえば、送信や送付になりますが、中身まで違うこともあります。個人的な内容が含まれたものが、違う相手に届いてしまうこと。役所などで多く起きています。
焼却・裁断・廃棄などは、それらが起きてしまった後に「発覚」するので、本当に燃やしたのか、裁断したのか、捨てたのか・・・追い掛けることもできません。流出はしてない(はず)ですが、その書類がなくなった事実は本当のこと。これも、未だに多くあります。
間違えてしまったから「誤○○」なのですが、情報セキュリティにおいては、間違いであっても事故となります。
偽のほうは、IP偽装、メアド偽装とか、制服なりすまし・・・などの騙すつもりで行うこと。これ、結構騙されます(笑) なぜ騙されるかと言うと、メアドの偽装とか、そもそも疑って見ることがないからです。結構簡単にできてしまうだけに厄介です。
制服なりすましも、そもそも疑って見てないから、騙されるのです。そんなに普段から疑って見ることはありません。人間不信になります。
しかし十分な嘘、偽りなわけで、相手の良心につけ込む悪質なもの。振り込め詐欺も同じやり方です。
パスワードの入力でも、数回間違えればロックがかけられます。設定やものによって変わりますが、二桁にはなりません。「誤○○」が何回まで許されるのか?って話ではありませんが、今回の大きなニュースでは50近くあったようです。パスワードを50回間違えることがあるのでしょうか?と自問自答。
「誤○○」は、間違えたことですが、これ意図的にやっても本当のところはわかりません。誤送付、誤廃棄・・・間違いではなく、故意に行ったら。。。そんなものは誰にもわかりません。間違いと言い切れば、それは間違いなのでしょう。
一方の「偽」は、嘘偽りなので、間違いでも何でもなく、明確な目的が見えてきます。どのような方法を使っても、目的達成のために行うのでしょう。振り込め詐欺なんかは典型的です。良心を揺さぶる「最も悪質」なやり方です。誠実なんてものは微塵もありません。
誠実なことは、理想なのでしょうか? 私は誰もが持っている良心の中に「ある」ものだと思っています。抽象的ですが、普通の人ならば、誰しもが多少ぶれても誠実な位置に戻る自然治癒のような潜在的な力を持っていると思います。
良いことも悪いことも何かを行えば、それは「そのまま」自身に戻ってきます。半沢直樹じゃないですが、倍返しのための量力も半端ありません。
誠実であれば、誠実なことが戻ってきますし、不誠実であれば、それもそのまま戻ってくるだけなのではないか?と思うのですよね。
日本人の持っている「大切な何か」を失いつつあるようなことを、最近多く感じております。
何をどこからどのようにすれば?との質問が多くあります
急激な社会環境変化により従来の概念や方法では解決できないことが多くなりました。
従来の業務は会社の中で行う → モバイルを活用して場所と時間の制約が無くなった → 自宅などの会社以外の場所で通常と同じレベルの作業が求められる(現状のリモートワーク)
労働・雇用環境の変化に応じて基準となる「就業規則」も変えなければなりません。同時に業務を進めるために「最低限のセキュリティ」も確保しなければなりません。
しかし教育も体制もない中、どのように進めればいいのでしょうか?と問合せが増えています。